先日、友人と食事に行った時に話題に上がったこと。「どうやったら本や人からのアドバイスを自分の中に落とし込むことができるか?」僕が思うには、一番大事なのは「疑問を持ち続けること」かなって思います。
答えの前には疑問がある
人から、本から、インターネットから、どんな媒体でも情報を求めている時は、まずは「なんで?」という疑問があると思います。
質問をしなければ、答えは返ってこない。メールを送らなければ、返信はこない、と同じで、まずは能動的な「なぜ?」がなければ、答えは見つかりにくいのかなと感じます。
だから、「どうやったら上手くその情報を落とし込めるか?」を考える前に、まずは「どうやったらいい疑問を持ち続けるか?」を考える方が大事。
例えば本を選ぶ時。「本を選ぶ」ということが自体が能動的ですよね。どの本を選ぶかという理由は、《興味がある》、《勉強がしたい》、《悩みに役立てたい》、《ただの気分》、いろいろあると思いますが、その本に何かしら惹かれた理由があるわけです。
そして、惹かれることの根底には疑問がある。
そして、「疑問」を頭に持ちながら、その本を読んでいると必ずどこか「答え」、少なからず「何かひっかかるところ」が出てきます。
同じ本でも、読むときの年齢や状況が変われば印象に残るところも違う。それは求めるものが違うと、同じものから得る情報、そして自分への落とし込み方も変わっていくということ。
まずは、自分からでる「なぜ?」ありき。
本に限らず、人からのアドバイス、インターネットからの情報、電車の中釣り広告さえも一緒かなと思います。
考えや感覚の流れを止めないこと
「なぜ?」を持つきっかけは、たくさんあります。日頃見ているものにも、「なぜそれがあるのか?作られたのか?誰が?」を考えるとそれはすべて疑問になります。
だからこそ、その素直な感覚をフィルターにかけないようにした方がいいんじゃないかなと思います。
ロルフィング®では、「疑問をを持つきっかけ」があちらこちらに散らばっています。というのも、セッションではクライアントさんの感覚や考え方に目を向ける機会が多いから。
例えば、「いま、立っている感じはどんな感じですか?」や「歩いてみて何か気になるところはありますか?」など、とても大きな質問を投げかけます。
普段、カラダの感覚や動きに注意を向けることが少ない方たちは???? 戸惑ってしまいます。
普段の忙しい生活で、常に外にばかり目が行き、カラダの素直な感覚を感じることが少ないのかなと思います。あるものをありのままみる、感じるものを感じるまま感じる。そんな単純なことがとても難しくなってしまいます。
なんの制限もないところで、ありのままの感覚をみる時間を過ごすことで、今ままでリミットをかけてきた自分を自由にできればなぁと。
ふだん難しいのであれば、ロルフィングのセッションだけでも、自由になってくれたら嬉しいなと常々思っています。
私たちはその手助けをしているだけなのかなと。
「感じるもの」は正直なんでもいいんです。それは、その人にしか感じられない、今しか感じられない特別なもの。
主役はクライアントさん。
感覚を鋭敏にして、そこにあるものを感じる、表現してみる、そうしていくと、自然とたくさんの疑問が出てくると思います。
疑問を恐れない、考えるのは楽しい
「疑問を持つ」ということは、人によってはとても怖いことに感じるかもしれません。それは、疑問を持つ=分からないことを認める。ということになるから。
そして、一旦疑問を持ったら、答えを求めたくなる。そんなプロセスを面倒くさく感じてしまう人も少なからずいるのかなと。
しかし、考えるということ/疑問に持つという行為は、決して写真の「考える人」のように悩ましげな辛い行為でなく、「新しいものを知る」というとても楽しいプロセスです。
子供は、「なんで?」の達人。
何を見ても興味を持って、質問の嵐。あの姿は、悩ましげには見えないですよねw
成長すれば、自分で答えを探す手段が増えます。使わない手はないですよね。
という流れが理想的かなと。
バンザイしながら、考えたっていいんです。
まずは自分の感覚や考え方に素直に。そこから浮かんだ疑問を大切に。
そこを大切にさえしていれば、本や人からのアドバイスを含む外からの情報を自分へ落とし込むことはたいして大変なことではないような気がします。