わたしの履歴(2)

前回(わたしの履歴(1))は高校卒業までの履歴でしたので、今回はその後について。

高校を卒業後すぐに、アメリカのカリフォルニア州サンノゼ(サンフランシスコから車で1時間ほど南に下ったところ)に留学をしました。留学をしようと決めた理由は大きく分けて2つ。1つは英語を勉強したかったこと。もう1つはスポーツに関わる仕事(アスレチックトレーニング)を勉強したかったこと。今、思うと中学の時に1ヶ月野球留学したことが大きかったと感じます。世界各国から人が集まっていて、同部屋で暮らしながら異文化を感じたこと、そして英語が喋れないながらもコミュニケーションを取ろうとした経験が、卒業後の留学に繋がったと思います。

まずはサンノゼにあるゴールデンゲート語学学校に入学。大学入学に必須条件のTOEFLのスコア獲得を目指しました。それと同時に、日本で経験の少なかった「英語を聞く/話す」ということに慣れるためにも、語学学校での時間は必要だったかなと思います。英語を母国語としていない人たちと共通の目標に向かって勉強できるのも一つの利点。

TOEFLをパスした後に、ウエストバレー大学に入学しました。アメリカでは4年制の大学に入る前に、2年制のコミュニティカレッジに入り、そこで一般教養の授業を終わらせ、それから4年制の大学に編入するという形が一般的です。この大学は緑が溢れた公園のような学校で気持ちがいいところ、優れたスポーツ医学のプログラムがあること、そして日本人がほとんどいないということを理由に選びました。英語に慣れる為にと選んだものの、やはりそれはそれで大変なところもありました(笑)一般教養と専攻(スポーツ医学/アスレチックトレーニング)の授業を取りながら、同時にトレーニングルームでの実習経験を積みながら、4年制大学編入の準備を進めていきました。

そして、正式なアスレチックトレーニングのプログラムに入る為に、4年制大学のサンノゼ州立大学に編入。アスレチックトレーナーはアメリカでは国家資格の準医療資格になります。教育プログラムもしっかりしていて、通常2年間で800時間の実習と必要な知識を得る為の授業を履修して、はじめて資格認定の試験を受けることができます。実習先は、高校、大学、プロチームと幅広く、幸運にも最後の学期からはメジャリーグのサンフランシスコジャイアンツで年間インターンとして働くことができました。この年、球団は56年ぶりのワールドシリーズ優勝を果たし、優勝リングをいただいたり、ワールドシリーズをベンチから見ることができたりと、貴重な経験を球団にさせていただきました。大学卒業後は、サンノゼにあるマイナーリーグ球団で働きながら、大学院進学の準備をしました。

そして、アリゾナ州のA.T. Still 大学院に入学。Evidence Based Practice (証拠/根拠に基づいた医療)の流れと、尊敬できる解剖学の先生の授業で一年間、充実した時間を過ごしました。アメリカでは、コミュニティカレッジ(2年制大学)の時点から実際に死体を使いながら解剖学の授業をしていきます。授業で使われる死体は、「これからの医療に役立てて欲しい」との本人の意思で使われています。死体の名前や年齢、性別や死因理由などを教えてもらい、授業が始まります。僕自身、コミュニティカレッジ、大学院、ロルフィングの学校と3度の解剖学の授業を受ける機会がありました。特に大学院での、血管に血がまだ残っているほどの死体を一から解剖していく機会を持てたのは貴重でした。大学院の2年間のプログラムの1年を残して、辞めることにしました。その理由はまた次回で。

世界一周に続く。。

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