わたしの履歴(3)

さて前回(わたしの履歴(2))の続きです。大学院を辞めたところまで書きました^^

大学院時代は、正直いろんな意味で辛い時期でもありました。
大学院に入るまでは、留学前からの目標であった「アスレチックトレーナーの資格を取る」そして、「プロのチームで働くこと」に向かって邁進/集中できていましたが、その二つを形にできたことでやりきった感が多少なりありました。そして、スポーツチームの中で働くことに制限を感じていたことも事実。何十何百というアスリートがいる現場では、一人一人じっくり診ていくことは難しいところがあります。アスリート/チームの最終目標である「試合に勝つこと」を優先することで、「カラダをじっくり診る」ということに集中するのが難しい場面も出てきます。その過程で1対1でじっくりと身体を見つめ直していくということに惹かれ、ロルフィングに出会います。

アスレチックトレーナーについて少し、

2013年に起きたボストンマラソンの爆弾テロ事件では、みんなが逃げる中、アスレチックトレーナーは最後まで現場に残り、被害者の手当にあたっていたと聞きました。まだまだ認知度/環境と恵まれている仕事ではありませんが、スポーツの現場に絶対に必要な仕事です。アスレチックトレーナーの仕事に対する情熱や姿勢やプロフェッショナリズムが、もっと認知されたらと強く願います。そして、「アスレチックトレーニング」と「ロルフィング」は僕の中で欠かせないものなので多くの人に貢献できるよう、これからもこの二つを生かしていけたらと思います。

大学院を辞めた後、日本に帰国して世界一周の準備を進めました。

世界一周に出ることを決めた理由は、「世界の医療を見たい/学びたい」と「日本/アメリカ以外の文化や人を見てみたい」ということの2つがありました。アメリカでスポーツ医学を長らく勉強してきたこと、そして、スポーツ現場で感じたことから、カラダ、しいてはココロの不調の根本の原因を取り除くにはどうしたらいいのか?という部分に興味が増していきました。人のカラダを細分化して悪いところに集中して治していく西洋の医療と違った、ヒト全体を診ていく医療の勉強をしてみたくなりました。メジャーリーグでも、日本人の鍼灸/マッサージ師が働いていましたし、ホリスティック医療(ヒト全体を診ていく)という流れに戻ってきているのかなぁとも感じました。日本で高校卒業まで育ち、それからアメリカ。僕自身が感じるところでは、日本とアメリカは両極の文化を持っているような気がしました。良いところも悪いところも感じましたが、もっと他の国の文化や人を知りたいという気持ちが大きくなり、世界一周に出る理由の一つになりました。

この時期を振り返って一つだけアドバイスできることがあるとすれば、「オープンに誰かに相談してみる」ということ。

僕自身、何か大きな決断をする時はいつも一人で決めてきました。
大学院を辞める時も、世界一周に出ることも、ロルフィングをやることも。いつも事後報告になってしまう周りの方には申し訳なく思います。これまでの決断に後悔はありませんが、もう少しいろいろな人に相談したら良かったかなとも思います。一人で考えていると視野が狭くなり、同じ悩みをループしがちになりますよね。人に話すことで考えがまとまりますし、多くの情報や考え方を得ることで、選択の幅が広がっていくと思います。そして、最後は自分で決めるということだけ大切にしていれば大丈夫な気がします。

僕も日々勉強中です。

すいません、、世界一周まで辿り着けませんでした。。(笑)

次回こそは。続く。

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