不登校=ネガティブなんだろうか?

みなさん、こんにちは!

耕ロルフィングの佐藤です。もうすぐハロウィーンですね!
セッションルームもハロウィーンムードになっています。

IMG_6843

先日、ピラティスを中心に活動をされている藤田英美さんにご紹介いただきヨガインストラクターであり、ヨーガ療法士の勉強をされている中島千代子さんを含めてのお食事をさせていただきました。

中島さんの息子さんは不登校経験があり、悩んでいた時に中島さん自身がヨガを始めたことで気持ちが楽になった経験から、

現在は同じような悩みを持つお母さん方の力になりたいと活動をされています。

(ヨーガセラピー体験会もやってらっしゃるようなので、興味がある方は上記のホームページから^^)

話していると、

不登校をしていた本人(僕)と、不登校児の親御さんや周りの人(藤田さん、中島さん)の感じ方の違いが見えてきました。

親としては子供を学校にも十分に通わせることができない、、と自己否定感を持っていたこともあったと。

当人としては、学校に行ってない自分のことを悲しんだり、それによって親が自分自身を責めたりしていることの方が、辛いと思っています。

僕自身の経験を話させてもらうと、記憶にある限りでは、「学校に行きなさい!」と親に言われたことは一度もありません。

それを話すと、「すごい親御さんだね!」と。

それがどれだけ大変だったことなのか、恵まれた環境にいたんだなぁと痛切にいま感じます。

不登校と聞くとあまりポジティブなイメージはないかもしれませんが、

僕は「不登校で良かったな!」と思っています。
(周りには色々と苦労をかけたとは思いますが。)

その一番大きな理由は、好きなことに集中することができたから。

不登校をする子は、「好きなことに没頭することができる才能」を持っていると感じます。

フリースクールで出会った子は、

野球が好きで素振りばかりしている子、

絵が好きで一日中絵を書いている子、

バイクが好きで、バイクレースのビデオをずっと見ている子、

漫画が好きで漫画家を目指している子、

お笑いが好きで、バカ殿を繰り返し見ている子、

など

脇目も振らず(学校に行くことすら)、好きなことに没頭できることは凄い才能だと思います。

偶然にも最近読んだ本は、

「好きなことをする」

ということがテーマの本ばかりでした。


モチベーション革命では、

『先の見えない、この変化の時代において間違いなくいえること。それは、一見非効率に見える人間の「好き」を突き詰めて、その「好き」に共感する人が「ありがとう」とお金を払ってくれる”偏愛・嗜好性の循環”こそが、残っていくということです。』

革命のファンファーレの中では、

『ストレスがかかる仕事から順にロボット化されて行き、ストレスがかかる仕事がみるみる世の中からなくなっていくではないか。自動改札が生まれ、改札口から駅員が姿を消したような変化が、今アチコチで起こっている。《中略》 好きでもない仕事は消え、好きなことしか残らなくなってきている。ここからは”好きなことを仕事化するしか道が残されていない”時代だ。』

そう考えると不登校のみんなはこれからの時代を支えて行く子たちなのではないか。

学校行かない=ネガティブをポジティブに。

学校に行かないくらい、好きなことを持っている自分軸のある子

という新たな価値観を作りたいです。

そんな考え方ができれば、本人も親御さんももっと楽に暮らせるはず。

わたしの履歴(4)

さて、世界一周編になります。

世界一周に出発したのが、2012年の12月25日。そこから約半年の旅をして、一度日本に帰国します。その3週間後に再出発をし、トータルで一年半の世界一周になりました。

世界一周では事前に予定はほとんど立てず、最初の目的地(タイ)だけを決めて、後はその場で決めていくというものでした。というのも、勉強を兼ねての世界一周ということもあり、予定が立てづらかったから。事前に予定を組める人には、世界一周旅行券(世界一周堂)もいいかなと思います。僕自身はスカイスキャナーモモンドカヤックなどの格安航空券検索エンジンを使い、その都度チケットを取っていました。スカイスキャナーを使っていれば間違いないかなと感じます。

長期旅行者で最初にタイを目的地にする人は多いかと思います。僕はプーケットから始めましたが、バンコクから始める人が多い。タイを含む東南アジアは旅行者にとって優しい環境が整っていますし、バンコクのカオサン通りに行けば、旅に必要なものは大抵揃います。食べ物や人、治安(当時)などを考慮してもスタート地点とはしてはいいかと思います。

740435_456715771055625_1769822478_o
タイでは寝釈迦で有名なワットポー寺院の近くにある学校でタイマッサージを勉強しました。この学校は1955年に開校し、診察の教育や伝統的な薬草の調合法を教えてきましたが、1961年にタイ古式マッサージコースが設置されました。タイの教育省(文部省)及び保健省(厚生省)に管理されたタイで初めてのメディカルスクールでもあります。詳しくは→世界の医療イロイロ。

ホテルやホステルは、HostelbookersHostelworld.comBooking.comなどを使って手配していました。ガイドブックや旅人のブログなどを拝見すると、日本人宿や旅人が多く集まる宿などを見つけることができます。日本語が恋しくなった時や、情報交換をしたい時などはお勧めです。

僕、かなりの方向音痴です。。なので、旅の最中も道に迷うことは日常茶飯事。
そんな時に、役立ったアプリはこちら→City Maps 2 Go

citymaps2Gothumb
この地図アプリはWiFi環境がないところでも、GPS機能で現在地が分かるという優れもの。
事前にWiFi環境のある場所で、特定の地域(例 – 東京や横浜)の地図をダウンロードしておけば、あとは全てオフラインで使うことができます。バスやタクシーなどの移動中にも使えるので、正確に目的地方向に向かっているかも確認することができます。シムフリーのスマートフォンなどがあれば必要ないかもしれませんが、旅先などでは結構使えるものかと思います。

もう一つのおすすめアプリは、レストランのメニューや看板が読めない場合にスマートフォンのカメラを向けるだけで、翻訳してくれるアプリ。以前はWord Lensという名前でしたが、今はGoogle翻訳の機能に加わったようです。

つづく。

わたしの履歴(3)

さて前回(わたしの履歴(2))の続きです。大学院を辞めたところまで書きました^^

大学院時代は、正直いろんな意味で辛い時期でもありました。
大学院に入るまでは、留学前からの目標であった「アスレチックトレーナーの資格を取る」そして、「プロのチームで働くこと」に向かって邁進/集中できていましたが、その二つを形にできたことでやりきった感が多少なりありました。そして、スポーツチームの中で働くことに制限を感じていたことも事実。何十何百というアスリートがいる現場では、一人一人じっくり診ていくことは難しいところがあります。アスリート/チームの最終目標である「試合に勝つこと」を優先することで、「カラダをじっくり診る」ということに集中するのが難しい場面も出てきます。その過程で1対1でじっくりと身体を見つめ直していくということに惹かれ、ロルフィングに出会います。

アスレチックトレーナーについて少し、

2013年に起きたボストンマラソンの爆弾テロ事件では、みんなが逃げる中、アスレチックトレーナーは最後まで現場に残り、被害者の手当にあたっていたと聞きました。まだまだ認知度/環境と恵まれている仕事ではありませんが、スポーツの現場に絶対に必要な仕事です。アスレチックトレーナーの仕事に対する情熱や姿勢やプロフェッショナリズムが、もっと認知されたらと強く願います。そして、「アスレチックトレーニング」と「ロルフィング」は僕の中で欠かせないものなので多くの人に貢献できるよう、これからもこの二つを生かしていけたらと思います。

大学院を辞めた後、日本に帰国して世界一周の準備を進めました。

世界一周に出ることを決めた理由は、「世界の医療を見たい/学びたい」と「日本/アメリカ以外の文化や人を見てみたい」ということの2つがありました。アメリカでスポーツ医学を長らく勉強してきたこと、そして、スポーツ現場で感じたことから、カラダ、しいてはココロの不調の根本の原因を取り除くにはどうしたらいいのか?という部分に興味が増していきました。人のカラダを細分化して悪いところに集中して治していく西洋の医療と違った、ヒト全体を診ていく医療の勉強をしてみたくなりました。メジャーリーグでも、日本人の鍼灸/マッサージ師が働いていましたし、ホリスティック医療(ヒト全体を診ていく)という流れに戻ってきているのかなぁとも感じました。日本で高校卒業まで育ち、それからアメリカ。僕自身が感じるところでは、日本とアメリカは両極の文化を持っているような気がしました。良いところも悪いところも感じましたが、もっと他の国の文化や人を知りたいという気持ちが大きくなり、世界一周に出る理由の一つになりました。

この時期を振り返って一つだけアドバイスできることがあるとすれば、「オープンに誰かに相談してみる」ということ。

僕自身、何か大きな決断をする時はいつも一人で決めてきました。
大学院を辞める時も、世界一周に出ることも、ロルフィングをやることも。いつも事後報告になってしまう周りの方には申し訳なく思います。これまでの決断に後悔はありませんが、もう少しいろいろな人に相談したら良かったかなとも思います。一人で考えていると視野が狭くなり、同じ悩みをループしがちになりますよね。人に話すことで考えがまとまりますし、多くの情報や考え方を得ることで、選択の幅が広がっていくと思います。そして、最後は自分で決めるということだけ大切にしていれば大丈夫な気がします。

僕も日々勉強中です。

すいません、、世界一周まで辿り着けませんでした。。(笑)

次回こそは。続く。

わたしの履歴(2)

前回(わたしの履歴(1))は高校卒業までの履歴でしたので、今回はその後について。

高校を卒業後すぐに、アメリカのカリフォルニア州サンノゼ(サンフランシスコから車で1時間ほど南に下ったところ)に留学をしました。留学をしようと決めた理由は大きく分けて2つ。1つは英語を勉強したかったこと。もう1つはスポーツに関わる仕事(アスレチックトレーニング)を勉強したかったこと。今、思うと中学の時に1ヶ月野球留学したことが大きかったと感じます。世界各国から人が集まっていて、同部屋で暮らしながら異文化を感じたこと、そして英語が喋れないながらもコミュニケーションを取ろうとした経験が、卒業後の留学に繋がったと思います。

まずはサンノゼにあるゴールデンゲート語学学校に入学。大学入学に必須条件のTOEFLのスコア獲得を目指しました。それと同時に、日本で経験の少なかった「英語を聞く/話す」ということに慣れるためにも、語学学校での時間は必要だったかなと思います。英語を母国語としていない人たちと共通の目標に向かって勉強できるのも一つの利点。

TOEFLをパスした後に、ウエストバレー大学に入学しました。アメリカでは4年制の大学に入る前に、2年制のコミュニティカレッジに入り、そこで一般教養の授業を終わらせ、それから4年制の大学に編入するという形が一般的です。この大学は緑が溢れた公園のような学校で気持ちがいいところ、優れたスポーツ医学のプログラムがあること、そして日本人がほとんどいないということを理由に選びました。英語に慣れる為にと選んだものの、やはりそれはそれで大変なところもありました(笑)一般教養と専攻(スポーツ医学/アスレチックトレーニング)の授業を取りながら、同時にトレーニングルームでの実習経験を積みながら、4年制大学編入の準備を進めていきました。

そして、正式なアスレチックトレーニングのプログラムに入る為に、4年制大学のサンノゼ州立大学に編入。アスレチックトレーナーはアメリカでは国家資格の準医療資格になります。教育プログラムもしっかりしていて、通常2年間で800時間の実習と必要な知識を得る為の授業を履修して、はじめて資格認定の試験を受けることができます。実習先は、高校、大学、プロチームと幅広く、幸運にも最後の学期からはメジャリーグのサンフランシスコジャイアンツで年間インターンとして働くことができました。この年、球団は56年ぶりのワールドシリーズ優勝を果たし、優勝リングをいただいたり、ワールドシリーズをベンチから見ることができたりと、貴重な経験を球団にさせていただきました。大学卒業後は、サンノゼにあるマイナーリーグ球団で働きながら、大学院進学の準備をしました。

そして、アリゾナ州のA.T. Still 大学院に入学。Evidence Based Practice (証拠/根拠に基づいた医療)の流れと、尊敬できる解剖学の先生の授業で一年間、充実した時間を過ごしました。アメリカでは、コミュニティカレッジ(2年制大学)の時点から実際に死体を使いながら解剖学の授業をしていきます。授業で使われる死体は、「これからの医療に役立てて欲しい」との本人の意思で使われています。死体の名前や年齢、性別や死因理由などを教えてもらい、授業が始まります。僕自身、コミュニティカレッジ、大学院、ロルフィングの学校と3度の解剖学の授業を受ける機会がありました。特に大学院での、血管に血がまだ残っているほどの死体を一から解剖していく機会を持てたのは貴重でした。大学院の2年間のプログラムの1年を残して、辞めることにしました。その理由はまた次回で。

世界一周に続く。。

わたしの履歴(1)

耕-Ko Rolfingの「こう」ってどんな人なの?
自分自身で振り返るいい機会でもあるので、わたしの今までの履歴を書かせてもらえたらと思います^^

IMG_7348
なぜロルフィングの施術をするようになったのか?
なんで世界一周?
日本に戻ってきた理由は?

まずは幼少時代ですが、親の仕事の関係で引越しを繰り返していました。静岡、栃木、千葉、山梨。母方の実家が近いこともあり、山梨に家を建てて、それからは山梨の上野原というところに定住することになりました。自然に囲まれたとても気持ちのいいところです。小学校の頃は、通学路に死んでいたイノシシを友達と埋めて遅刻したなんてこともありました(笑)

今では至って健康体ですが、幼少のころは体が弱く病院通いをするような子供でした。
耳や喉の手術で入院をしていたこともありました。しかし、体を動かすこと/野球が好きだったこともあり、暇があれば運動をしている活発な子供でもありました。

山梨に引っ越したのが、小学3年の時。わたし、実は小学3年から中学3年までほとんど学校に行っていません。いわゆる不登校児。山梨への引越しをきっかけに学校に行かなくなり、それからはたまに学校に顔を出すことはありましたが、高校入学までほとんど学校に行きませんでした。その理由はまずは「学校に行く理由が分からなかった」ということ、もう一つは「周りの目を気にすることで疲れた」ということがあると思います。納得いくまで満足しない頑固さと、人の目を気にして優等生を演じる、両面があったのかなと振り返ります。

それでは、学校に行かないで何をしていたのか?

いろんなことしてましたよ。(笑)

引きこもってゲームやテレビを見ていることもありましたし、ランニングや体力作り、野球の練習などをして時間を過ごしていました。途中からはフリースクールという(小中学校が合わない子ども達が来て、自由に勉強や運動をできる場所)に通い始め、勉強と運動に打ち込みました。そこでは、勉強をしたければ勉強、絵を描きたければ絵を描く、漫画を読みたければ漫画を読む、野球をしたければ野球をする、という自由に自主性を尊重する環境でした。ちなみにフリースクールは出席日数に数えられるところがあります。(フリースクールについては、今度詳しく書けたらなと思います。)

14歳の夏には、野球の本場アメリカを見てみたいという気持ちから、一ヶ月間フロリダに単身渡り、現地のベースボールクラブで野球をしていました。そこには世界各地から人が集まっていて、プロを目指す選手から僕と同世代の子まで幅広い層の人が一緒に練習をしていました。そこでの出会いや感じたことは、後に留学するという決断にも大きく影響したと思います。同時に当時メジャーリーグやプロ野球でのウエイトトレーニングが注目されていたこともあり(マグワイアやソーサの時代)、ジムでのウエイトトレーニングを始めて、フリースクールが終わったらジムに向かうという生活をしていました。

そして、高校に推薦入学。高校では野球ではなく、何か格闘技をやりたいと思い、レスリング部に入部しました。東京都内でもレスリング部がある高校は限られているマイナースポーツではありましたが(所属していた部も僕を含めて3人)、部員たちで練習メニューに工夫したり、試合や練習でも自ら考えて行動する癖がついたかなと思います。高校卒業後に留学するために、英語の勉強を本格的に始めたのもこの時でした。

「アメリカ留学」に続く。。