わたしの履歴(1)

耕-Ko Rolfingの「こう」ってどんな人なの?
自分自身で振り返るいい機会でもあるので、わたしの今までの履歴を書かせてもらえたらと思います^^

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なぜロルフィングの施術をするようになったのか?
なんで世界一周?
日本に戻ってきた理由は?

まずは幼少時代ですが、親の仕事の関係で引越しを繰り返していました。静岡、栃木、千葉、山梨。母方の実家が近いこともあり、山梨に家を建てて、それからは山梨の上野原というところに定住することになりました。自然に囲まれたとても気持ちのいいところです。小学校の頃は、通学路に死んでいたイノシシを友達と埋めて遅刻したなんてこともありました(笑)

今では至って健康体ですが、幼少のころは体が弱く病院通いをするような子供でした。
耳や喉の手術で入院をしていたこともありました。しかし、体を動かすこと/野球が好きだったこともあり、暇があれば運動をしている活発な子供でもありました。

山梨に引っ越したのが、小学3年の時。わたし、実は小学3年から中学3年までほとんど学校に行っていません。いわゆる不登校児。山梨への引越しをきっかけに学校に行かなくなり、それからはたまに学校に顔を出すことはありましたが、高校入学までほとんど学校に行きませんでした。その理由はまずは「学校に行く理由が分からなかった」ということ、もう一つは「周りの目を気にすることで疲れた」ということがあると思います。納得いくまで満足しない頑固さと、人の目を気にして優等生を演じる、両面があったのかなと振り返ります。

それでは、学校に行かないで何をしていたのか?

いろんなことしてましたよ。(笑)

引きこもってゲームやテレビを見ていることもありましたし、ランニングや体力作り、野球の練習などをして時間を過ごしていました。途中からはフリースクールという(小中学校が合わない子ども達が来て、自由に勉強や運動をできる場所)に通い始め、勉強と運動に打ち込みました。そこでは、勉強をしたければ勉強、絵を描きたければ絵を描く、漫画を読みたければ漫画を読む、野球をしたければ野球をする、という自由に自主性を尊重する環境でした。ちなみにフリースクールは出席日数に数えられるところがあります。(フリースクールについては、今度詳しく書けたらなと思います。)

14歳の夏には、野球の本場アメリカを見てみたいという気持ちから、一ヶ月間フロリダに単身渡り、現地のベースボールクラブで野球をしていました。そこには世界各地から人が集まっていて、プロを目指す選手から僕と同世代の子まで幅広い層の人が一緒に練習をしていました。そこでの出会いや感じたことは、後に留学するという決断にも大きく影響したと思います。同時に当時メジャーリーグやプロ野球でのウエイトトレーニングが注目されていたこともあり(マグワイアやソーサの時代)、ジムでのウエイトトレーニングを始めて、フリースクールが終わったらジムに向かうという生活をしていました。

そして、高校に推薦入学。高校では野球ではなく、何か格闘技をやりたいと思い、レスリング部に入部しました。東京都内でもレスリング部がある高校は限られているマイナースポーツではありましたが(所属していた部も僕を含めて3人)、部員たちで練習メニューに工夫したり、試合や練習でも自ら考えて行動する癖がついたかなと思います。高校卒業後に留学するために、英語の勉強を本格的に始めたのもこの時でした。

「アメリカ留学」に続く。。

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